photoshoot - eriko fujimoto
2011.5
1 マニュアル化されたブックと仕事
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全ては、自分のブックを見つめ直すところから始まる。
クライアントへの顔見せやオーディションで、モデルの名刺代わりとなるブック。
故に「ブックがモデル生命を決める」といっても過言ではない。
自分で自分の作品を客観的に知ることが、未来へと進む第一歩なのだ。
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プロジェクトone secondの撮影で初めてNAOKIさんとお会いした時、ハンマーで殴られたような
気持ちになりました。
「このブックの写真は君である必要があるの?」
正直なところ、ブックに関して自分でも満足のいく仕上がりではなかった。モデルとしての自信も
なかったんだと思います。
・・でも。なんとなく、そこを見て見ぬフリしてた。理由を探すことも、諦めていた。
仕事に対してもそう。
中には機械的に進んでいくルーティーンワークもあります。
初めはそういった仕事の進め方に対して違和感を感じていたけれど、徐々にその「?(ハテナ)」
の気持ちさえも置き去りにしてしまっていたんですよね。
これでいいんだって。こういうものなんだって。
いつの間にか、写真を撮られるということにおいて、まるでベルトコンベアの上にいるかのように
機械化されてしまっていたブックと仕事。
けれど・・・改めて、このままじゃダメだって思った。
本来自分はどうしたかったのか?と自分自身と対話をすると、求めていた答えは簡単なことだった
んです。
ファインダーを通して写し出された自分の姿が他の誰でも成立するようなモデルにはなりたくない
ということ。
つまり私は、”私じゃないとその作品が撮れない”。そんなモデルになりたかったのです。
2 表現への苦悩
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誰もが唯一無二の人間であるように、モデルだって一人一人違う。
モデルである前に一人の人間であるという事実を噛み締めて。
まずは自分という人間を知らなければならない。
そしてその先にいつも、「表現」があるのだ・・・。
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子供の頃から厳しく育てられた環境であり自分の中でどこか抑圧されて生きてきたからこそ、フ
リーな気持ちで自分を表現できる場所に憧れていたんだと思います。
もともとファッションに興味があったし、ラッキーなことに私は背も高かった。
最新の情報を発信していくファッション誌の世界観に魅せられて、モデルという仕事に挑戦しまし
た。
もちろん、初めは全然ダメでしたよ(笑)
右も左も分からないまま、憧れのファッション誌の「撮影」という名のプレッシャーだけに追わ
れ、カメラの前で笑えない・ポーズも上手にできない日が続きました。
雑誌の中に存在する自分の姿に納得できず、他のモデルと比べて自分を見失いそうになることも。
ファッションが好きでこの仕事を始めたのに。
もっと自分を表現したいのに。
思い描いていたモデルという仕事と、シビアな現実との間で葛藤していたんですよね。
自分を表現する術を知っていればよかったのかもしれないけれど、その時の私にはまだわからな
かった。
仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになり、結果的に自分で自分を萎縮してしまって・・・。
負のスパイラルに陥り、精神的に辛くなる日々。
自分らしさなんて、まるでなかった。
それでも”モデルで在ること”を諦めなかったのは、自分自身が納得出来ないままで終わりたくな
かったから。
絶対に、終えられなかった。
3 クリエイトの履き違い
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ある特定のミューズの価値観しか受け入れない・・そんなクリエイト側の考え方にも問題はある
かもしれない。
既存のマニュアルに従うのではなく、
どんなことを考え、どんなことを得意とするのか?
モデルという一人の人間性を大切にするクリエイティブ。
時代と寄り添いながら絶えず新しいものを生み出していくクリエイティブが今、必要とされてい
る。
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ある撮影に行った時、撮影現場に一枚の絵コンテがあったんです。
そこには、とあるモデルさんの雑誌の切り抜きがイメージ像としてたくさん貼られていた。
皆に目が届く場所にその絵コンテが置かれていたので、当然私の目にも入ってしまったのだけれど。
ショックでしたよね(笑)「だったら、そのモデルを呼べばいいじゃん!」って。思ってしまいま
すよね(笑)
今ここにいる自分ではなく他の誰かをイメージした上でのクリエイション。自分を偽ることが求め
られているような気がして、とても悲しかった。
その時点でクリエイト側と自分との間に温度差が出来上がってしまいますよね。。
なんとなくヘアメイクをして、なんとなく洋服を着て、なんとなくカメラの前に立つ。
終始「なんとなく」が纏わり付くドライな撮影となってしまう。
お仕事を頂くことはとてもありがたいことだけれど、モデルとして求められる以上、100%の気
持ちをそこに注いでクリエイトがしたい・・ということが本音です。
同時に、私は「なんとなく」の対極にあるものをずっと求めてた。
4 テストシュート
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自分というものをどれだけ表現し、それを見た相手を感動させるか。
たった一枚の写真でそのモデルが「誰か」わからないとダメ。
人種や国境を隔てた”人間の本能”の部分で、純粋に人を感動させられるかが試される。
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実は作品を撮って頂いたあの夜、興奮し過ぎて眠れなかったんです(笑)
心が震える最高の撮影でした!
後日、上がった写真を身近な友人に見せたら「すっごくいい!!」って、感動してくれた。
いい写真は人の心をも動かすことが出来るんですね。
改めて、「自分とはどういう人間なのか?」「自分らしさとは何なのか?」を考えながら、しっか
りと自分と向き合い考えながらカメラの前に立つ重要性を知りました。
ヘアメイク・ファッションとシチュエーション。その全てを俯瞰の目で見て成り切っていかないと。
一枚の写真だけで自分が何者なのかを伝えなければならない。それはすごく難しいことだし、勇気
がいることだとも思います。
でも、それを体現し一枚の作品となったとき。
何事にも変えられない「感動」が待っているということを、改めて今回の撮影で知りました。
5 未来に向かって
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勉強すること。絶えず考え続けること。
初めは誰かのコピーでもいい。
それを完璧に追求していくことによって、自分だけのオリジナリティが見つかるのかもしれない。
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実は撮影の前、スーパーモデルのナジャ・アウアマンの写真集を見て研究して・・。
自分の中で噛み砕いたことが、この上がりの写真に繋がっているのだと思います。
少し前までの私は、モデルであることの楽しさの焦点がわからなかった。でも今は。
今は、いい写真が上がることこそがモデルとしての醍醐味なんだと心から実感しています。
そしてそれを味わうためには、目の前の仕事をただこなすだけではなくて、日々、自分を知った
り・磨くことを怠ってはいけない!
時には長いものに巻かれたほうが楽かもしれないし傷つかずに済むかもしれない。けれど「なん
となく」で生きるなんて、寂しすぎる。
「こう在りたい」という、自分の中の軸がブレない人生を送ることーー。
これって大変ではあるけれど、とても大切なことなんですよね。
既存のマニュアルではなくて、唯一無二のオリジナルか否かが、モデルとして・一人の女性として
輝く「鍵」なのだと感じています。